【Revenge.69~5つの顔を持つ男たちは夢と現実を生きる~】

人生を楽しみまくっている大人はかっこいい。

妥協せず、言い訳せず、今を濃く生き、一生懸命生きる大人はかっこいい。

一方で、生き方について悩んでいる人たちが多い。

夢と現実の狭間で揺れる学生たち、自分の人生に納得のいかない社会人たち。

 

僕もかつては悩んでいた。

今も自分の人生について悩んでいる部分はあるが、かつてのそれとは違う。

今の僕は、しっかり自分を表現する方法、自分しかできない道を見つけている。

ある世界を知り、普通にサラリーマンをやっていたら出逢わない人たちと知り合っていった。

そんな方々と交友を深めていく中で、いろんな人生の歩み方があるのだと知った。

そして僕なりの方法で試行錯誤し、有難いことにサポートやチャンスを得た結果、道を見つけた。

不器用ながら時間はかかっているが、今、僕はそこに全力を注いでいる。

僕が生き方への回答を見つけるきっかけになった世界とは、「ライヴハウス」

そう、アンダーグランドの音楽シーン。

生き方に悩む若者よ、大人よ。ライヴハウスへ行こう!

ちょっと怪しげなビル。地下へと続く階段を下ると、ライヴハウスがある。

最初は怖いが、恐れず、重いドアを開けてみよう。

 するとそこには、今を全力で生きる人がたくさんいる。

ミュージシャン。

と言っても、世間一般に知られている方々ではないし、テレビの音楽番組に出てもない。

正直知名度は無い。

ただし、この世界で一生懸命曲を書き、演奏するミュージシャンは、楽しそうだ。

メジャーなミュージシャンは、売れる音楽を生み続けないといけない。

事務所やレコード会社から言われた、マーケティングによる音楽をやらないといけないだろう。

自分たちの音楽を一人でも多くの方々に聴いてほしいという素朴な夢は昔と変わらぬものの、果たしてそれは本当に自分が演奏したい音楽なのだろうか。

 

一方、アンダーグラウンドのシーンはそうではない。

ここで活躍するミュージシャンは、自分たちが本当に好きな音楽を全力で作り、全力で演奏しているからだ。

もちろん、集客は必要だから自分たちの音楽のファンを増やさないといけないし、自分たちが心血注ぎ込み、作った音楽を一人でも多くの人に聴いて、楽しんでほしいもの。

全力で作った自分たちの音楽で、その音楽が属するジャンルを好む人たちを虜にできた時、ライヴハウスには一体感が生まれる。

好きな音楽を演奏する者、好きな音楽を聴きたい者の結束は強く、プレイする者も聴く者も笑顔になり、お互いが幸せを与え、もらう関係になる。

 

では、ライヴハウスで演奏する人はどんな人か。

知ってビックリ、本当にいろんなタイプの人がいる。

バンドをいくつも掛け持ちし、ステージや路上と場所を問わず毎日演奏し楽器一本の人もいれば、楽器の講師をしながらバンドを続けている人もいる。

サラリーマンもいれば、自営業もいるし、トラックドライバーもいれば、洋服屋さんの店長、PCのエンジニアやグラフィックデザイナーをやりながら、バンドをやっている人もいる。

NPO団体の理事長を務めているバンドマンだっている。

皆、何かしらの方法で稼ぎ、食いながら、大好きな音楽を続けている。

「大学を出て、社会人になり、いつか結婚し、家庭を持ち、子供を育てる…」

こういった一般的な人生、平凡な人生を親は子に求めがちだし、就活生の大半はこういった方向性を頭に描き、進んでいくだろう。

しかし、これだけが人生ではない。

そう教えてくれたのは、ライヴハウスで知り合った人々。

働きながらも大好きな音楽を全力でやっているミュージシャンがいる。

子供の頃に持った夢に向かい、今も走り続けている大人たち。

自分たちの音楽を爆音で演奏して、仕事で得たストレスをぶっ飛ばす大人たち。

兼業ミュージシャンかもしれないが、舐めてはいけない。

皆本気で、全力でやっている。そして、その音楽に、演奏に魅せられるファンがいる。

これがライヴハウスの世界。

 

今回紹介するのは、名古屋のREVENGE. 69。

途中解散していた時期はあれど、結成から30年以上経って今も全力で大好きな音楽、子供の頃に惚れた音楽をプレイしている5人の男たち。

オリジナルメンバーの2人は、49歳の一人の男にして、一人の夫。

一人の父親にして、一人の家族を養うサラリーマン。

そして、一人のミュージシャン。

 

1985年。

高校1年生のオーグチ氏は、部活に打ち込んでいたが帰宅部への転向を余儀なくされた。

それから数か月後の12月。偶然に再開した中学の同級生たちとバンドを組むことになったのが、全ての始まり。

1986年。

1980年頃から、世界にはヘヴィメタルの波が押し寄せていた。

ここ日本も同様な動きがあったが、その第2波と呼ばれる一群の中心にいたSABBRABELSのメジャーデビューアルバム” SAILING ON THE REVENGE “より、バンド名をREVENGEとした。

(参照:https://diskunion.net/metal/ct/detail/XAT-1245677861

大好きなバンド、ANTHEMのコピーを中心に、ミュージシャンとして、バンドとして鍛え、ステージに立つ高校時代。

学校以外は全て音楽。バイトは全て音楽の為。音楽一色の生活。

PAや照明など裏方の仕事も自らやらないといけない高校生ミュージシャンは勉強ばかり。

スタジオにレコード店にライヴハウスと、ミュージシャンや音楽関係者が集まるいろんなところに出没しては、交友関係を深めていく。

演奏だけではない。

様々な経験が音楽家としての血となり、肉となり、骨となる。

1988年。

高校卒業し、皆バラバラの生活になるも、オリジナルの楽曲でステージ立つ為、リヴァプールスタジオにてデモテープを製作。

オーグチ氏はPAの知識を持っていたことから、エンジニアとなり、録音。

夢と希望と実力を詰め込んだカセットテープをライヴハウスへ売り込む。

(参照:http://www.geocities.co.jp/SweetHome-Skyblue/3836/

そして、オリジナル楽曲でのライヴが実現。

同じく名古屋で活動していたバンドが本格的に音楽の道に入り、東京へ出向く中、REVENGEも精力的にライヴをし、スタジオに入っては練習し、録音したライヴ音源を聴いては修正しと、修行の日々。

しかし、11月のライヴを最後にヴォーカルのオーグチ氏とベースが脱退。

 1989年。

バンドは、後任を探すも上手くいかず、解散。

 2001年。

子供のころから大好きで憧れており、コピーしていたANTHEMが再始動。

そのライヴをメンバーと観に行き、心に閉まっていたものが再び燃え上がり、再始動。

バンド名は、REVENGE.69に改名。

メンバーチェンジを経ながら、ツインギター体制に変わる。

30代。仕事や家族との生活もあるので、バンド結成時と同じペースでは歩めないが、ゆっくり、着実に、自分たちの音を追求していく。

 2010年。

1stシングル”Volume One“を製作し、無料配布。

 2012年。

ヴォーカルでありリーダーであるオーグチ氏の同級生、ETERNAL ELYSIUMの岡崎氏のスタジオ、STUDIO ZENにて2ndシングル”Ⅱ”を製作。

 2013年。

2月23日、2ndシングル“Ⅱ”リリース。ライヴ会場を中心に販売。

(参照:http://diskheaven.shop-pro.jp/?pid=73268444

2014年。

2月。新栄ソウルキッチンにて開催した初のワンマンは、見事ソールドアウト。

オープニングアクトは、JASONS、DilemmAが務めた。

3曲入り音源(”Luck And Pluck”, ”Blood Splash Of Revenge”, ”Seven”)を来場者全員配布。

当時のドラムス前田健次氏の初音源。

(参照:https://www.facebook.com/revenge.69officialpage/photos/a.488878967857513/562666933812049/?type=3&theater

5月。オーグチ氏の息子がギターで入り、6人編成にて名古屋でライヴ。

6月。その息子がサポートメンバーとなり、5人編成でJASONSと共に初の関東遠征。

2014年6月14日(土)@横浜B.B.STREETより。

 (https://www.anotherstyle.net/entry/jasons01

 

11月よりSTUDIO ZENに入り、レコーディング開始。11月末には再びJASONSと東京遠征、新宿でもう1本ライヴ。

11月23日(日)@東京新宿HEAD POWERより。

レコーディングで多忙のはずが、間髪入れず12月初めに名古屋で自主企画ライヴを実施、レコーディングへ気持ちを高める。(その後も熱量は冷めることなく、2015年4月まで6カ月連続ライヴを成功させた)

 2015年。

1月より、ミニアルバム”DE LA SERMA…GUERRILA“のリリースツアーを東名阪を皮切りに、多くの地でライヴを行った。

(参照:https://www.facebook.com/revenge.69officialpage/photos/a.534123883333021/833623933383013/?type=3&theater

2月名古屋(JASONSとのツーマン)、3月名古屋、4月大阪、6月東京、7月四日市、8月名古屋(自主企画)、9月名古屋、10月岐阜、11月浜松(初)

(参照:https://www.facebook.com/revenge.69officialpage/photos/a.534123883333021/833623933383013/?type=3&theater

6月20日(土)@巣鴨 師子王より。

12月5日。

ツアーファイナルと結成30周年を兼ねたスペシャルなショーを敢行。

過去に在籍したメンバーを呼び寄せ、結成時のバンド名を冠した今宵限りの特別バンド、REVENGEがオープニングアクト。

そして結成時からの旧友バンド、DEADCLAW、大阪の大先輩RAGING FURYと現在のREVENGE.69のスリーマンとなったスペシャルな一夜。

アンダーグラウンドとは言え、30年。

その重みと歴史、成長を、バンド、対バン、お客さんと、この場にいた皆が感じ、REVENGE.69を称えた。

(参照:https://photos.google.com/search/_tra_/photo/AF1QipNMsUrP4f1ci6nXptY0xE5gCQk9YftMyRBDCLWL

この夜、ドラムスが脱退をリーダーに報告。

2016年にはベーシストが、2017年はリードギタリスト、ベーシストが脱退するも、幸いにも後任はすぐに見つかり、その歩みを止めることなく、自分たちの理想のバンドに近づけるべく今も練習を続け、自分たちの音楽を見つめ研究する、修行の日々。

名古屋はもちろん、大阪、東京と活動を続ける。

また2017年、オーグチ氏はここ最近活動を共にする大阪のバンドNEAT 001のギタリスト、KCと共に「火倉」というアコースティックユニットを結成。

昭和歌謡テイストにドゥーミーなロックをミックスさせたサウンドをプレイ。

 

30数年の歩みはこんなもんではないとは思うが、凝縮してでも伝えたかった。

なんといっても、今回の記事のテーマが、「生き方」だから。

結成から33年となった今のバンドの姿はどうなのか。

2018年バンド最後のライヴを、10月7日四谷アウトブレイクで観てきた。

この夜の感想を一言で述べるなら、

「今を生きるバンド」

この言葉に尽きる。

この夜も、いつもながら、熱いドラマを見せる楽曲が並ぶ王道へヴィメタルショーを展開した。

彼らもファンもその音を「オールドスクール」と呼ぶが、へヴィメタルが黄金期であった1987年生まれの僕にはそんなもん関係ない。笑

「曲がいいかどうか」が重要。

熱い戦士、信念を持ち戦う者が好きなオーグチ氏。

ミニアルバムのタイトルやアートワークには歴史的な革命家、チェ・ゲバラへの愛が込められているが、オーグチ氏の声には扇動力があり、リーダーとしての気迫がある。

戦う者のドラマを語るには申し分のない、中音域の伸び上がる声を持つ。

僕はこの日でREVENGE.69を観るのが4度目。毎回新鮮な心で感動できるのが、そのギターリズム(リフ)の爽快さ。

作曲を手掛けるのはオーグチ氏と共にオリジナルメンバーであり、彼の中学からの同級生、竜也氏。

彼は、本当にかっこいいリフを生み出す。

ギターを弾けない僕がこういう言い方をするとエラそうで申し訳ないのだが、センスがいい。

どの楽曲でもギターはキャッチ―で、聴く者の心を見事掴み印象に残る。何より聴いていて気持ちいい。

心を持って行かれた僕は自然と笑顔になっている。

本当に王道。

ANTHEMと同じく、彼らは見事に王道へヴィメタルを産み出している。

 

もう一人のギター、ドラムス、ベースを僕は初めて観たが、いい意味でバンドは変わった。

聴き易さはそのままに、バンドサウンドが、分厚くなった。

終演後、オーグチ氏に聞いたが、新体制となり、いろいろとアップデートしたようだ。

小出氏のドラムスは、バスドラム(一番大きな音が出る、足元の大きな太鼓)をツインペダルで速く、とにかく速く連打するのではなく、着実に打ち込んでいくスタイルを取っている。

通常、この手のバンドは速いバスドラムが魅力の一つではあるのだが、決して無理をすることなく、今自分たちができる能力で確実にインパクトを出す方法を取った。

ヤッさんのベースも決してスピードよく弾きまくるのではなく、ドラムスのテンポに合わせ上手く味を付けていった。

ギターについて、再始動後の竜也氏の相方を長年務めた前任は、自由に弾きまくることを信条にしていたが、現ギタリストのコーイチロー氏は、リズム(リフ)を刻むところは2人揃ってしっかり刻むことに拘った。

結果、リズム隊はアタックが強くなり、バンドのベースサウンドは分厚くなった。

曲の輪郭を描くギターはよりはっきりとし、バンドの音の分厚さ、圧力は増した。

楽曲がタイトに分厚くなったことにより目立つのがギターソロ。

2人のギタリストは全くタイプが異なるから面白い。

王道をいく竜也氏に対し、新ギタリストはモダン。

音数は多く、速さとメロディーのバランスが良いし、ソロパートの最後にアームで音を揺らせ、爆撃機のようなインパクトを残す。

戦争で戦う男を歌うバンドとしては、いい味付け。

ミニアルバムから3曲(“Silent Waltz“”39””Die For War”)、2ndシングルから1曲(”Birth”)、そして新曲を数曲入れたセットリスト。

過去の曲も今のバンドにはもう馴染んでいるようで、新曲と一緒になっても何の違和感も無く、爽快に駆け抜けた熱いドラマのへヴィメタルであった。

この夜もまた気持ち良かった。へヴィメタルの王道を堪能できた。

それはなぜか。

30年経った今も自分たちの音を研究し続け、変貌し、自分たちが憧れる音を目指し、修行するから。

夢を持つ若者。そして、夢を持つ大人。

社会人になったからと言って、夢を諦める必要は無い。

家族ができたからと言って、夢を諦める必要は無い。

「昔は俺もプロ目指してやってて、レコーディングやライヴを繰り返してたんだ」
なんて、後輩に言ってるサラリーマン。

んーなんかカッコ悪い。

歯切れが悪いし、未練を持った男としてカッコよくない。

昔は凄かったっていう、過去の栄光を披露したいようにも聞こえる。

 

今を生きよう。

働きながらでも、夢を実現するよう動ける。

家庭を持ちながらでも、動ける。

もちろん、100%夢漬けの生活ではないけど、夢を叶える為に動き続けられる。

むしろ、メジャーミュージシャンになって売れる音楽をやるより、自分が演奏したいスタイルを続ける形の方がいいかもしれない。

 

要は両立。

高校の頃なら、クラブと勉強の両立。

必死に運動場を走り回り、汗と泥だらけになりながらも、勉強した。

社会人なら、同じように仕事と夢の両立。

 

いやいや、このグレーな世の中、働き方改革なんて言われながらもなかなか難しい世の中やで?

いやできる。

1日24時間、1週間7日。

自分のやりたいこと(=夢)に時間を費やす為、仕事が効率的になるかもしれない。

家族の理解を得る為、上手い具合に家事をしたりコミュニケーションを取ったりし、家庭が円滑に回るかもしれない。

仕事なんかでできたストレスは、自分の夢に全力で生きることで発散すればいい。

 

自分の夢に120%生きるだけが人生じゃない。

家族を持つことも面白い。

会社で働くことで見えることもある。

兼業で夢に生きることで、自分たちがやりたいことだけに追求することもできる。

そして、いくつもの顔を持つことで、人生を誰よりも濃く生き切ることができるかもしれない。

若者よ、夢を諦める必要は無いし、失敗・挫折したからって辞める必要はない。

サラリーマンよ、昔の夢を忘れられないなら、今からやろう。

 

人生は一度。

全力で今できることをやり込み、自分の人生を楽しんでやろう!

最後に2015年リリースしたミニアルバムより、ミドルテンポの深く熱い曲で今回の記事を締め括ろう。

これが、5つの顔を持ち、子供の頃持った夢を今も追い続ける男たちの書いた、曲である。


REVENGE 69 39 music & photo

 

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この記事を書いた人
音楽ライター「監督」

音楽ライター。昭和の末に生まれ、平成の大阪で育ち、革ジャンを羽織り、ロックシャツを着て、ベルボトムに下駄で東京の街を闊歩する。「音楽は耳で観る映画」をテーマに、音楽から感じるイメージを文章にし、ライヴレポートやライナーを書いています。

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