前記事▶【JASONSの蓋世不抜~第二章:福生へ道場破り篇~】
2018年2月24日。初関東襲来から3年と8か月が経った。
2018年初のJASONS関東は、福生。SHIT LISTという、初福生と同じイベント。
この日が発表されたから、僕はどれほど待ち焦がれていたか。
この地でのJASONSということに加えて、溜まりに溜まったプライベートでの怒りやストレス、疲労のため、へヴィメタルのライヴを欲しており、
僕は本当にこのイベントを心待ちにしていた。
とは言いつつも、福生へ到着してもすぐに会場へは向かわなかった。
この土地に興味があったからだ。ここには何かがあると感じていた。
ビールを片手に夜の福生を散歩。
福生には横田基地があり、アメリカ人の方が非常に多い。そう聞くと非常に危険な町と思われがちだが、決してそんなことは無かった。
アメリカのようなクラブやバー、ウッドデッキのあるレストランなどが並ぶも、昭和の日本のような賑やかなバーやクラブ、呑み屋も立ち並ぶ。
海外へは仕事で何度か行ったことあるが、福生の空気は、海外で感じる解放感を少し持っていた。
特にLA。
ハリウッドにある伝説のロックバー、“Rainbow Bar & Grill”へ行った時、ワクワクしながら夜の街を歩いていた。
そのバーがある通りは、サンセットブルバードと言い、世界的に有名なライヴハウス、タワーレコードの跡地やバー、レストラン、そして、ラーメン屋さんが並ぶ。
人種の垣根を越えた多くの観光客や地元民が歩き、食べ、呑み、笑っていた。
あの通りに流れた空気と似ていた。
行き交う日本人は若者から家族連れまで。また外国人も多数。
そして、古くからある日本の呑み屋で働くおっちゃん。
いろんな人たちが小さな福生の飲み屋街で溢れているのだが、皆、馴染んでいる。
落ち着いた土曜の夜、平日の疲れを癒す人たちの絵がここにある。
ここは、土地もそこで生きる人も、懐が深く、器がでかいのだろう。
『来る者拒まず、良いものは受け入れ、皆で楽しむ』
そんなシンプルな考えがここにある。
30~40分ほど歩き、会場に入った。ジャックダニエルとテキーラで身体と心を温める。
ステージに目を向けると、静岡のバンド、All That Groovin’のパフォーマンスがちょうど始まった頃だった。
彼らはもちろん、続くDemons、Morllyheadsも素晴らしかった。
対バンのバンド同士で盛り上げ合い、お客さんも熱く、笑顔でノッていた。
SHIT LISTとは、この福生を拠点に活動するバンド、ANTI-PRIDEが主催するイベントだ。へヴィメタルではないが、熱い、骨太なロックバンドが毎度集まる。
そういう意味では、同族で集まらない、同じ志を持つバンドと本気で対バンしたいという、JASONSにはピッタリ。
そう言えばこの時、一人で会場にいたら、ある男性から声かけてもらった。
「JASONS観に来たんですよね?」
「そうです。分かります?」
「えぇ、分かりますよ!」
顔が割れている…なんで?と思ったけれど、きっと、SHITLISTに毎度いらっしゃるお客さんかミュージシャンの方だろう。
2015年の福生Chicken Shackや2016年の野外フェスと、JASONSがプレイする時、僕は全力で走り回っていたから。印象が強かったのかな?
しかし名前も知らない僕に声をかけてくれるなんて。
同じロックを愛する熱い者ということでできる仲間意識。
えぇもんやな。
22時30分頃、JASONSは、セッティングを開始した。
メンバーに挨拶し、軽くストレッチをしながら、その様子を見守る。
軽く音合わせの後、メンバーはメイク、衣装の準備に入った
そして場内暗転。
ショーはスタート。
彼らは袖から登場しない。
後方から、観客を割って練り歩き、ステージに上がる。
「バンドもオーディエンスも皆同じ、爆音を愛する者だろ?曲を書き、演奏するからバンドの方が偉い、オーディエンスはバンドをフォローするもの…とかどうでもいい。
皆でこの場を楽しもう、皆でライヴハウスを作ろう」
という心かな。
後方のバーカウンターから現れた、JASONS。
いつもの通り僕はメンバーと抱き合い、ステージに上がった。
今夜は3代目ベーシスト、ジェイソン百十号 マークⅡが加わってから初となる東京公演。
今夜は、いつも一緒のJASONSフリークが不在だった為、
「俺1人で何としてでも会場を爆発させなあかん」と、意気込んでいた。
しかし、爆音一発。
バンドがかました瞬間にスイッチが入ったのは、僕一人では無かった。
何人もが一斉に暴れ始めた。
既にステージを終えたバンドの方々。酒を何杯も煽り、テンション激高な方々。
皆が揉みくちゃになって、暴れ出す。2人、3人と肩を組み、前へ突っ込む。どんどんモッシュは激しく、興奮の渦は高まった。
フロアは、暴れるゾーンとその周囲を囲むオーディエンスに分かれる。
通常、ゾーンの周りから観る人たちは、ただただ呆気にとられた表情で観察しているだけなのだが、この夜は違った。
皆声を出し、拳を上げ、この興奮の場を楽しんでいる。
「お前ら最高だな!けど、怪我だけはしないようにな。」
ゴリさんの嬉しさと優しさを垣間見た一言の後、場内はさらに盛り上がり、男も女も、日本人も外国人も皆同じく、音楽に心酔していった。
スリーピースとは思えない音圧とスピードで攻め倒すセットリストは、初見の人でも、簡単に馴染め、楽しめるものであることも手伝い、無数の人が、JASONSに共鳴した。
ところで、他のバンドにはない、JASONSではお決まりの光景がある。
ステージの中盤、ギターを置いたゴリさんはフロアへ下り、バーカウンターへ向かいビールを買う。
この間、リズム隊は演奏を続けており、上手のマイクスタンドは空いたまま。
『ステージ上は神聖な場。上がりたくても上がれないバンドもいる。俺はただの客、そのことを忘れるな』
と胸に秘めていたのだが、
『さっきのバンドでも馴染の客がステージ上がって一緒に歌っていたし、そういうのが許されるイベントなのかな』
と思っていたら身体が自然と動き、僕はステージに立っていた。
見下ろすと、フロア前方の人たちが僕を煽る。
『イケる!』
僕はマイクを掴み、煽り始めた。
両手を力強く振り上げ、叫んだ。
『ステージから客席ってけっこう見えへんのか、暗いわ…やっぱヴォーカリストの体力って凄い、全然声出-へん…
しかし全力でやったるからな!
ゴリさんが戻ってくるまで、会場のこの熱量を落とさせんからな!』
ヘッドバンギングし、声を出し続けた。
ゴリさんはステージに戻ったら、まずはビール瓶を僕の口に持っていき、流し込んでくれた。
そしてフロアへ戻る。
バンドメンバー、客何人かでビールを回し呑み、演奏再開。
もちろん、その後もフロアの火は燃え盛った。
最後の曲。ゴリさんの指示で客電がついた。
彼はマイクスタンドを携え、ステージに下りた。
フロアの中央でその曲の後半を、歌い、ギターを掻き鳴らした。
これまでも同じようなアクションはあったが、ここまで熱く、歌もギターソロもやり切ったのは初めてではないかな?
僕は彼の周りをサークルし、横で共に歌い、ステージに上がって、ベースの横でエアギターに没頭、ドラムの前でヘッドバンギングと、心のままに暴れ倒した。
もちろん、僕だけではない。
多くの人が暴れ回り、それぞれのやり方で盛り上げ、性別も国籍も関係なく、楽しんだ。
終わってから、ゴリさんと抱き合う。
「最高」
とお互い言い合った時、約4年間の歩みを思い出し、グッと来た。
JASONSが、デカくなった。
僕は、「音楽は耳で観る映画」とし、音楽から感じるイメージを文章にするライター。
初音源であるEP「DxOxTxD」では、大自然の奥地に生き続けるJASONSという種族が見え、彼らの暴走、踊り、生き様をライナーに書き、へヴィメタルが生まれる瞬間を説いた。
続く、1stアルバム「Inferno」では、そのバンドの姿をもっと掘り下げ、彼らの波動(=グルーヴ)を感じ、闘争心と仲間意識をライナーに書いた。
その後のライヴレポートはまた後日、このブログでも紹介すると思うが、僕の物語はこうだ。
「自然から飛び出したJASONSは、街に出た。名古屋、東京といった大都市で暴れ回り、一人また一人と仲間にしては、皆の心に闘争心を生み、社会と闘わせる」
しかしこの後、どんな音源を出すのだろう、僕はどんな物語を書けばいいのだろう、と正直悩んでいた。もうネタが尽きるかもと思った時もあった。
しかし、僕の想像以上のことが今起こっている。
まさかこんなモンスター化するとは。
今後どれほどまでに進化するか。誰もその姿は分からないが、こうして挑戦を続けていけば、必ず、結果は出る。
福生、横浜とこれまでの土地を愛し続け、地方都市へも行脚するだろう。
そして、東京23区、日本の中心も襲う日が来れば。
そう、日本が世界に誇るモンスター、ゴジラのように…
そしてこのブログでも、せっかく物語を作ったので、今後も第四章、第五章と追いかけていこうと思う。
物語と言えども、これはルポルタージュのようなもの。
筆者の僕は引き続き、JASONSを追いかけ、作品を読み込み、現場を歩き、彼らの姿をしっかり目に、脳に焼き付け、文章に仕上げていく。
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