*蓋世不抜(がいせいふばつ):
世の中を圧倒する気性や才能があり、意志が堅いこと。また世の中を圧倒する気性や才能があり、戦いに負けたことの無いこと。
(出典:http://4ji.za-yu.com/)
誰にでも、人生のターニングポイントと言える場所がある。
生まれた場所。
育った街。
学生時代遊んだ繁華街。
初めて女の子とデートした映画館。
クラブに全力を注いだ高校生活最後の試合会場。
大学生の頃、遊び呆けた飲み屋街。
就職先。
そして、初めて一人暮らしをした駅…。
これらの場所を再訪すると、脳内のスクリーンには、当時の風景や思い出が映画となり、映し出される。
人生山あり谷あり。良い思い出もあれば、そうでないものもある。
だから、脳内の映画には喜劇もあれば、悲劇もある。
しかし、決して悲観してはいけない。
それぞれの場所を乗り越え、まっすぐ前を向いて歩いているあなたのことだから、どの場所も、人生においてステージアップ、レベルアップしたターニングポイントと言えるだろう。
人も生き物、バンドも生き物。
バンドにとっても、思い出の土地、ターニングポイントとなる場所がある。
JASONSにとって、きっと「福生(ふっさ)」は、数あるターニングポイントの中でも、大きな意味のある土地だろう。
2018年2月24日。この年JASONS初となる東京公演は、福生Chicken Shack。
この夜が凄まじい熱狂の渦であった為、興奮のまま翌日に書いたライヴレポートが、バンドと福生との物語として仕上がった。
何度か書き直しを行ったが、やはり語りたい物語がバンドにあり、あまりにも長い文章になった為、3日に分け発表することにした。
まずは第一章。彼らが関東の地を踏んだ頃の話から始めてみよう。
JASONSの蓋世不抜~第一章:関東殴り込み篇~
IB89という名古屋のバンドをきっかけに、ギタリストのゴリさんと知り合い、彼が率いるJASONSを追いかけるようになった。
僕が初めて観たライヴは、たぶん彼ら初の関東ライヴ。
2014年6月、横浜は関内にあるB.B. Street。同郷のRevenge.69との横浜公演。
あまりにも衝撃的過ぎたその夜のショーを、僕は今でも鮮明に覚えている。
現在も変わらぬヴォーカル兼ギターであるジェイソン一号、ドラムスのジェイソン二号に初代ベーシスト、ジェイソン三号のスリーピーススタイル。
1stEP「DxOxTxD」の4曲を全披露した。
何が衝撃的って、彼らはただの音源再現はしなかった。
「ホラー」と「メタル」をテーマにしたバンドのステージに目をやると、なんと下手(しもて)に棺桶が置いてあった。
そして3曲目だったか、なんとその棺桶からミイラが登場した。ミイラはフロアを練り歩き、僕らとサークルピット作って走り、踊りまくった。
それだけではない。ステージでも、通常のメタルバンドとは異なった演出で驚かせる。
例えば、へヴィメタルバンドのライヴには、セットリストの中盤に“アコースティックタイム”なんてコーナーを入れることがよくある。
しかしJASONSがセットリストにぶち込んできたのは、“リズムタイム”
ドラムキットの前に用意していた、タムという太鼓を一つステージ中央に設置し、ギターを背に回した一号がドラムスティックを持って、叩く。
まさか、へヴィメタルバンドでこんなことが起こるとは思ってもみなかった。
それにまだ新人バンド。
20分そこらの短い時間に主張するなら、全力で激しいメタルをかますものだが、一辺倒なショーを嫌い、世界を作ってライヴハウス内を自分たちの色で支配し、観客を魅了する。
2分ほど続いたパーカッションタイム。
僕はJASONSのリズムに乗せられ、もうバンドのグルーヴの渦に溺れていた。
この頃リリースされた初音源である1stEP「DxOxTxD」は、攻撃的なスラッシュメタルと、重く遅いドゥームメタルを混ぜたもの。
ジェイソン一号の構想は明確で、メタルの世界の両極端を見事にミックスさせ、唯一無二の異色エクストリームサウンドを初期から完成させていた。
EP中盤にある、非常に重く、スローな曲は、呪術的で、民族音楽のようだった。それを視覚的に表現したスタイルが、この“リズムタイム”だった。
MCも無く、自分たちの世界を駆け抜けた。
JASONSは、客目線に立ったライヴができる数少ないバンド。客が何を求めているか、何をしたら興奮するかを理解し、表現できる。
ここで1曲。EPからのMVを紹介しよう。
今でも演奏される疾走曲“CYTOCLASIS”。
関東圏のバンドではない、まだ新しいバンドなのに、その後も精力的に東京でライヴを行った。その度に参戦していたが、どうも固かった。
というのも、対バンがゴリゴリのメタル猛者たちではなく、ビジュアル系だったり、大学生っぽいバンドだったり、軽いパンクだったからだ。
JASONSと音も違えば、正直に言って申し訳ないが魂のレベルでも違っているバンドとばかり対峙していた。
「もっとゴツい、名の知れたバンドとぶつかったら、JASONSの魅力は一気に広まり、東京でもビッグになるのに…」
対バンの方々には失礼ながら、毎度こういった思いで帰宅していたのだが、それは僕のお節介に過ぎない。
だから、僕はひたすら、毎度のショーを全力で、ファンとして。フロアを盛り上げることに徹することにした。
どのライヴ会場でも光景は同じ。僕ともう1人のフリークが、フロア前方で暴れるも、他の客は数歩下がって鑑賞する。
このようなフロアの様子にも動じず、バンドは黙々と、自分たちの音を演奏する。
MCなど一切せず。
当時のことを振り返ると、これがJASONSの首謀者、ジェイソン一号ことゴリさんの狙いだったのかなと感じるようになった。
あくまでも僕の想像だが、その狙いの根底には、「ロックとは挑戦だ」という心があるのかなと思う。
バンドのEPを執筆する際、中途半端に書きたくなかったので、バンド全員にインタビューさせてもらったのだが、その時ゴリさんがこう言っていた。
「以前GUSUSというパンクバンドで全国行脚していた。どこへ行っても、同じメンツでツアー。似たような客の前での演奏。そんな安定がつまらなかったんだ。 ロックとはもっと、挑戦的であるべきだ!」
その後しばらくして、JASONSに近い名古屋のミュージシャンの方に聞いた話だが、ゴリさんは自分の音源を東京中のライヴハウスに送って、出演希望を出していたようだ。
仲間内で呼んでもらうのではなく、こうべを垂れ、お願いするのではなく、自らの手で出演権を勝ち取り、勝負する。
『ロックとは挑戦。自分の力で、自分の音で勝負し、結果を掴みとる』
自らの音だけを信じ、媚びず、頼らず、未開の地、離れた地の関東に挑んでいく日々。
明日発表する第二章では、運命の土地、「福生」に彼らが初めて降り立った頃の話を語ろう。
彼らの音は、観客の心を揺れ動かすことができるのか。魂の炎を燃やすことができるのだろうか
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